連載物語/政策の曲がり角 (1.4)

メインメニュー

Top > 連載物語 > 政策の曲がり角 (1.4)

わが旅、次世代コンピュータ

第1編 第五世代への旅

第1章 新しい産業政策を

  • 政策の曲がり角 (1.4)

ある月曜日のこと、総括班長の中野が、児西の方を向いて、「児西君、デ本のKちゃんを知っているね」という。通産省に着任して、しばらく経ったころのことだ。デ本というのは、電電公社、データ通信本部の略称だ。この略称は電電以外でも、情報産業の世界であれば通用している。「ええ、」と応えるが、実は、知っていたのは名前ぐらいで、通産省への出向が発令されたときに挨拶をして、初めて言葉をかわした程度であった。しかし、電電公社内の名簿で中野とK調査役が東大で同じ年次であるらしいことは確認しておいた。「昨日、いっしょにまわったんだよ」ゴルフの身振りを少し加えながら、中野がつづける。「児西君は、DIPSの開発にかかわっていたんだってね」と言いながら、後ろのファイルキャビネットを覗いて何か探している。ようやく見つかったらしい資料は、すこし古くなった、カラー刷りのパンフレットのようなものであった。「開発部門にいたなら、このような話に興味はあるかい」と言いながら手渡してくれる。

あるコンピュータメーカの中央研究所で作成したもので、内容は、バベッジの解析エンジンから始めて、チューリング、フォンノイマンから現代にいたる計算機の歴史を概観して、今後を展望するというものであった。児西は、たのしそうに頁をめくりながら、事務官の中野がどうしてこのようなものを持っているか不思議であった。実は、中野は官房の情報管理課にいた時代にコンピュータを少し経験している。その頃に、この資料を手に入れている。中野が普通の事務官と違うのは、単にコンピュータが使いにくいのに辟易して放り出すのではなく、その動作原理に関心をもったりしたことだ。この資料を捨てないでいたのも、動作原理の変革につながる可能性を秘めた言葉を見つけていたからだ。

児西は、特に何もこたえるわけでもなく不思議そうな顔をして中野の方を見る。何の意図もなく、児西にこのような資料を見せるとは考えられないので、中野がなにかをしゃべり始めるのを待っているのである。不思議な表情をしているもう一つの理由は、児西は学生の頃に、白揚社という出版社が発行している科学啓蒙書を好んで読んだ時期がある。たとえば、シャノンの通信理論やウイーナーのサイバネティックスを解説する本、あるいはアインシュタインの相対性原理を解説する本などである。もっと古くは、同じ出版社の「ガモフ全集」を中学生のころに読んでいる。いま手にしているパンフレットは、それらの啓蒙書、あるいは科学技術読み物と同じ雰囲気をかもしだしている。このパンフレットに懐かしさに似たものを感じているのである。

やがて中野は話し始める。「大袈裟に言えば、日本のコンピュータ政策は曲がり角にきている。君も知っているように、関税も撤廃されているし、資本も自由化した、メーカへの補助金による技術開発プロジェクトも、日米のハイテク摩擦で、もういつまでも続けてはいられない。関税障壁、非関税障壁、補助金という順番で政策手段がなくなっていく。すると次ぎはなにを政策手段にするのか」「行政指導があるのでは、…」と児西は、片目をつぶりながら答える。勿論、本気ではなく皮肉だ。あいまいな、行政指導で、この熾烈な技術開発競争を乗り切っていくための施策など打ちようがない。しかも、行政指導については、内外ともに評判はよくない。行政指導を振りかざせば、ノストリアス・MITIという悪評が広まる。「あるいは、もう何もしない」「うん、先日、日立の三田と話をしたときに、彼の鼻息はそんな調子だったよ」児西は、最近の日立の雰囲気を知っている。日立の場合には体力があるので、JECCレンタルの仕組みに頼らなくても自社レンタルで持ちこたえられる。この自信のもとに、JECCへの出資金の引き上げを打診してきているという。 「しかし、国産メーカが、IBMを向こうにまわして本当に戦えるとは思えない」と中野は続ける。「そこで、何か新しい発想のプロジェクトと、新しい仕組みが必要だ。そのパンフレットの終わりのところに、非ノイマンという言葉がある」

児西は、ふたたびそのパンフレットをめくりながら目を通す。ノイマンというのは、サイバネティックスのウイーナーと並び称される巨人だ。このノイマンを否定するコンピュータ、……。学会では最近になってときどき話題になっているらしい。「そこで、この非ノイマンという発想。将来を革新する芽かもしれない。これをキーワードに入れた技術開発プロジェクトは成立しないだろうか。考えてくれないか。内容が見えてくれば、仕組みの方は私が考えるから」「来年度の新政策の審議で、電子政策課からそれを提案する。それを私が担当するということですね」児西が勢い込んで聞く。中野がうなずく。少し考えてから児西がいう。「長期プロジェクトになります。新しい原理にもとづくコンピュータなら、ひと声、十年」「次の世代では無理で、多分その次の世代ということになります」「それでは、新政策のタイトルは、とりあえず、「次々世代コンピュータの調査研究」ということにして唾をつけることにしよう」 国家予算の場合には、最初から開発費を要求してもなかなか通らない。まずは調査予算を計上し、後年度にかけて徐々に予算規模を膨らませていくのが常套手段だ。ようやく、政策的な仕事を手がけることになりそうだと児西は思う。早速、学会誌などをひっくり返して材料を集めることにしよう。

「君は、富士通の池田さんを知っているね」児西はうなずく。中野がメーカの人をさんづけで呼ぶのは例外的である。普段は、メーカの社長、役員クラスの名前を呼び捨てにする。 自分がその業界の将来を左右する産業政策を担っているという自負心が、その背景にある。富士通の池田敏夫が、故人となってしまったせいもあるが、やはり日本のコンピュータにとって、池田は特別の人であることが分かる。「彼のように才能のある男が、IBMコンパチ路線を余儀なくされ、ユニークな製品を開発することもなく過労に倒れてしまう。このようなことは繰り返したくはないんだよ。非ノイマンが独自なものを生み出すきっかけになってくれればと思う」……、

児西の頭はリズミカルに回転を始める。非ノイマン技術について、どのように当たりをつけるか。人に会うのが一番であるが、まず誰に会うことにするか。未来工学研究所でサーベイした様々な手法のどれかがこのプロジェクトの企画に使えるのか。このプロジェクトでは、通産省と電電公社の関係はどのようにもっていけるか。IBMの次世代への対策とこの長期にわたりそうなプロジェクトの関係はどうするのか、米国の状況はどうなのか、非ノイマン研究の動きはあるのか。最近の基礎研究の主なテーマは何なのか。プロジェクトの実行組織はどのような性格をもたせるか。十年先の社会はどうなっているのか、等など。

まだ何も決まっていない。どのように攻めればいいのかも、たぶん、誰も知らない。白紙の上にデッサンから始めなければならない。このようなミッションに取り組むとき、児西はこころが躍る。児西の頭の中でリズムが刻まれ始める、「冷静に、しかもこころを躍らせながら…」。これは児西が好きな言葉だ。たしかハマーショルドという国連事務総長をしていた男が遺した詩の中のフレーズだったような気がする。彼はコンゴ動乱の最中、アフリカ上空を飛行中に消息を絶ち、墜落死が確認される。暗殺だったらしい。その事故は児西がまだ子供の頃のことであるが、このフレーズをどこかで知って心に残っている。みずからの死を予期しているような詩の中の一節だったはずだ。

総務課に提出する新政策審議の様式は、B4横長一枚なので、とりあえず資料をまとめるのは簡単であるが。そこから先は、未知の世界である。

(2005.11.3)


                    

prev.gif 前へ                       次へ next.gif                     


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: Tue, 30 Oct 2007 11:24:36 JST (4006d)
© Knowledge Produce Inc., 2005.