連載物語/石崎純夫、松井好、唐津 一 (2.2.5)

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わが旅、次世代コンピュータ

第1編 第五世代への旅

第2章 船乗りを集め、地図をつくる

  • 七人の侍を集める (2.2)
  • 石崎純夫、松井 好、唐津 一 (2.2.5)

石崎純夫

ビジネス分野、いわゆる事務処理分野で性能的にもっともクリティカルな応用はオンライン銀行システムである。また今後の応用としてオフィスオートメーションの進展が予想される。この分野で特徴的な人物はいないか。しかし、ひろい世界なのでなかなか適任者が見つからない。児西は、方々のチャネルを使って一人の人物に行き当たる。その人物は、石崎純夫である。かれは富士銀行のオンラインシステムの責任者である。使っているコンピュータは当然IBMであり、IBMマシンをよく知っているはずだ。しかし、もう一つ普通の銀行のコンピュータシステム屋にはない特性をもっている。それは、コンピュータ犯罪の専門家として名が知れていることである。インターネットの時代になってからはコンピュータ犯罪やネットワーク犯罪に詳しい人々は多くなり、セキュリティがビジネスになっている。しかし、この1970年代の末では非常に珍しい。この時代には、国際的にもコンピュータ犯罪の専門家の数は少なく、石崎はこのコミュニティにおける日本のゲートウェイになっている。コンピュータ犯罪を専門にするというのは十分にユニークだ。児西はこのユニークさに魅力を感じる。さっそく石崎純夫にコンタクトして本人の意向を確認する。

松井 好

児西は、NTTのデータ通信本部時代に夜だけ未来工学研究所に通っていたことがある。1975年前後の数年間である。一週間に一回程度の頻度で通った。そのきっかけは、技術同友会の事務局をしている児西の先輩が、有志を集めて技術予測の勉強会を開いていたことである。技術同友会事務局が未来工学研究所に間借りしていたのだ。技術予測の勉強会では、種々の手法を輪講形式で学んだ。途中から単に学ぶだけではなく、NTT内部の雑誌に手法の紹介記事を連載した。この連載は勉強会のメンバがテーマを分担して執筆したが、児西が担当したのはアポロ計画に適用された手法であった。それはハネウェル社が開発したもので、関連樹木法の一種であり、パターンと呼ばれていた手法だ。この内容を調べながら、児西は情報処理という自分の世界でアポロ計画のような大規模プロジェクトを始めたいものだと夢想していたものだ。

この勉強会で技術予測について、児西が学んだことは「いつ実現するか」を予測することに意義があるのではなく、「なにを実現すべきか」を社会環境やニーズを分析することにより定義することが大切である。「なにを」が決まったのちには、「どのように実現するか」をいかに構想し、計画するかが重要になるということである。米国ではこのための方法論がいくつも考案されている。また、「どのように実行するか」という研究開発の組織について、米国の様子が興味深かった。米国には、流動研究所という概念がある。あるプロジェクトが開始されるときに、必要な能力をもつ人々が、一時的にその研究所に所属して研究開発に従事する。プロジェクトが終われば、また人々は散っていく。日本と違って、会社組織や研究機関の枠を超えてこのような人の流れが起こるという。

勉強会でこのような議論をしている時に、児西達はときどき松井好に相談にいった。松井好は未来工学研究所の研究部長としてさまざまなプロジェクトを推進していた。「ローマクラブ」の悲観的な予測が世の中で話題になっていたころのことだ。第五世代コンピュータプロジェクトは「なにを」から始めることになると児西は考えているので、松井好にも委員会の体制に参加して活動することをお願いしたわけである。

松井好がいる未来工学研究所を第五世代委員会の体制に組み込んだ理由は他にもある。プロジェクトが大蔵省に認められて研究開発組織をつくる段階になって、NTTの研究陣を組織に参加させようとするときに郵政省から待ったがかかる可能性がある。通産省と郵政省は電気通信と情報処理の境界領域でその権限をめぐってことごとくぶつかっている。そのような時に郵政省の所管する特殊法人であるNTTが通産省のプロジェクトに積極的に協力するのは郵政省の側からは好ましくない。このような理由から直接的な協力関係がつくれないことも想定されるのだ。その場合には、未来工学研究所経由でNTTが協力するというワンクッションが必要になるかもしれないと児西は考える。未来工学研究所は科学技術庁の監督する財団法人であるが、NTTとの結びつきが非常に強いのでこのようなスキームも可能であろう。

唐津 一

児西が集中的に行っているヒアリングが終わりに近づいてきた。1978年の11月のことである。児西はこの時期には、委員会の体制について、中核に研究者と実務家を配置しその周囲に個性豊かなさむらい達を配置したいと考え始めている。分科会の構成についても、児西の中にイメージが固まりつつある。基礎理論をテーマにする分科会、アーキテクチャを考える分科会、それに加えて1990年代のニーズとコンピュータに対する要求条件をまとめる社会環境分科会の3分科会体制である。この最後の社会環境分科会に個性豊かなさむらい達を集めよう。これが児西の考えである。

さて、この一連のヒアリングの結果、個性的なさむらい達を集められるめどがついた。問題は、このような個性の集団を率いていく人を誰にするのかである。黒沢明「七人の侍」の場合は志村喬、ジョン・スタージェス「荒野の七人」のユル・ブリンナーに相当する役割。この役割を果たす人を探さなくてはならない。ここまで来て、児西もはたと行き詰まる。何人かの候補者のリストをもって児西は中野総括班長に相談する。ふたりで相談した結果、唐津一が最終候補になる。唐津一の場合には、品質管理の大家としての幅広さに加えて、松下グループでの事業経験という強みがある。しかもタレント性がある。早速、児西は松下通工の唐津常務室に電話を入れてアポイントをとる。霞ヶ関ビルにある東海大学会館のレストランで会食する。唐津一は快諾してくれる。

これ以降、唐津・児西ラインともいうべき関係が何年も続くことになる。第五世代コンピュータの研究開発を実行する研究所(ICOT)設立以後も、唐津一が委員長をした「システム化技術委員会」、「第五世代コンピュータの波及効果委員会」などでは、常に児西も参加してその委員会の取り纏めを児西がお手伝いするという関係ができあがる。


                


          


          




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Last-modified: Tue, 30 Oct 2007 11:24:36 JST (3944d)
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